2008年02月22日

島 秀雄の人生

元宇宙開発事業団理事長と言う経歴を持つ彼。
どのような人生だったのでしょうか。


大阪府出身ではあるが父安次郎の赴任先が当時関西であったからである。すぐに東京府へ移住する。1925年に鉄道省に入省し、工作局車両課で蒸気機関車の設計に携わった。彼が設計に関与した蒸気機関車には、C53形やC54形のような失敗作もあったが、「デコイチ(又はデゴイチ)」ことD51形など、信頼性の高い堅実な機関車を数多く送り出した。もっとも、蒸気機関車に関する限り島の設計思想は、日本の技術レベル相応に古い設計を用い、海外技術の剽窃的引用で若干のアップデートを図ったに過ぎない、との見方もある(日本の蒸気機関車史を参照のこと)。

日本の狭軌鉄道における蒸気機関車の限界と、電車・気動車に代表される動力分散方式の将来性を見抜き、1930年代にはいち早く気動車の開発を推進した。

1937年には長期外遊し、世界各国の鉄道事情を研究している。1930年代末期から進められた「戦前版新幹線」とも言うべき弾丸列車計画(新規広軌幹線敷設計画)でも、電気動力を本命として計画を立案している。最もこの計画は太平洋戦争激化によって頓挫し、島はB20形や63系電車など、戦時設計車両を手掛けることになる。

太平洋戦争後には80系電車の計画を立案、電車自体に懐疑的だった当時のGHQによる妨害を排しながら、電車による長距離列車運転を実現している。戦後の混乱した情勢の中では鉄道事故が続発、1951年には大惨事として知られる桜木町事故が起き、島は責任を取り国鉄車両局長の職を辞した。下野してからは一時、鉄道車両台車の最大手メーカーである住友金属工業の顧問を務めたほか、1953年に発足した鉄道趣味者団体「鉄道友の会」の初代会長に就任し、鉄道趣味の分野でも活躍した。

1955年、十河信二は国鉄総裁就任に際し、最適任の技術者として島に復帰を要請。島は国鉄技師長に就任、動力近代化推進の先頭に立ち、ひいては純国産技術による高速鉄道「新幹線」計画に携わる


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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