2010年3月 4日
ニコライ堂の場所
自治正教会・日本ハリストス正教会(日本正教会)の本部である全日本の府主教座・東京大主教座聖堂である。したがって所属する教派名「正教会(正教)」を冠して「正教会の大聖堂」と呼称するのは正しいが、主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一独立正教会の組織名「ロシア正教」「ロシア正教会」を用いて「ロシア正教会の聖堂」と述べるのは誤りである。「ギリシャ正教」は教派名としても用いられるため、「ギリシャ正教の聖堂」と呼ぶことはできる。
同種の習慣を持つ他教派と同様に正教会の聖堂は聖書に記された出来事やイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシア語読み)、生神女(一般にいう聖母マリア)あるいは聖人など何らかの記念を伴い本聖堂の場合は正式名称が示す通りイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活が記念されている。一方「ニコライ堂」の通称は日本正教会で「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる、1970年に列聖されたニコライ・カサートキンに由来する。つまり本聖堂は建立当初より「ニコライ堂」という名称で知られているが、聖ニコライを記念した聖堂というわけではない(ただし大聖堂内の一角に「亜使徒聖ニコライ聖堂」、敷地内には「亜使徒聖ニコライ記念聖堂」が設けられている)。
聖ニコライの依頼を受けたロシア工科大学教授で建築家のミハイル・シチュールポフ(Michael A. Shchurupov)が原設計を行った。お雇い外国人として来日し民間の建築設計事務所を開いていたジョサイア・コンドルが実施設計を担当、建築工事は長郷泰輔が請負い施工は清水組(現・清水建設)が担当した。1884年3月に起工、7年後の1891年2月に竣工した後、同年3月8日に成聖式が行われた。煉瓦造および石造でギリシャ十字型のプランを有する聖堂であり、中央に八角形ドームを頂く。屋根は銅板葺。24万円の建設費用の大部分はロシアの正教徒たちの献金によって賄われたといわれるが、予算の制限からビザンティン様式の特徴である内部空間の豊かな装飾はみられない。イコノスタシスと鐘はロシアに発注された。イコンはペシェホノフ(V.M. Peshekhonov)が制作したとされ、イコン画家山下りんが制作したものも4点あったと伝えられる。
駿河台に位置し、明治初期から中期には近隣が開けていたため遠方からもドームを臨むことができたといわれる。明治の名建築の一つに数えられるが、一方では建設中途の1889年頃からは尖塔が皇居を見下ろす形になり不敬であるとの言説が流布するという反響もあった。夏目漱石『それから』(1909年)の一節にも登場する(二の三)。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
東京都千代田区神田駿河台にあります。
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